震災の日に…

今日は(時間的に昨日になってちゃったけど)、東日本大震災が起こった日でしたね。
もう4年…まだ4年…人によって様々でしょうね。

昨年夏、東北旅行をしました。
長年行ってみたかった土地。
出来れば、震災の爪跡などない時に行ってみたかった土地…
でも、今行くからには、その現状を見ておくのも意味が有る事なんじゃないか…と思って、行程の中に復興応援ツアーという地元の日帰りバスツアーに参加しました。

語り部ガイドさんが案内してくれたのは、三陸鉄道北リアス線の田老でした。
ここには世界最大級の防波堤がありました。
過去に何度かの大津波の経験から教訓を得て作られた防波堤でした。
海岸線の間際に有るものではなく、少し中に入った所にあり、まさに津波を想定して作られた堤防でした。
なのに、あっさり乗り越えられてしまった…
そこには、防波堤が決壊し無残な状態になった跡がいくつも残されていました。
その姿はこの震災の津波の物凄さを語っていました。

そして、その防波堤を乗り越えて何百mもの先にあった建物までもが全て流され、何もない広々とした土地がそこにはありました。

阪神大震災とは違った、自然の猛威を感じました。
ここからの復興は、大変な物だと改めて思わされました。

この時の私の旅は、仙台から盛岡まで、鈍行列車でトコトコと行く旅でした。
思った以上に長い距離でした。
ただ、真っ直ぐに走ってもこれほどの時間が掛かるのかと、東北の広さを感じました。
だからこそ、この田老地区を見てからの帰路で気がついた事は、この長い長い距離が、そのまま津波が襲った距離なのだと…
いえ、実際はそれ以上の距離です。
もの凄い長さ…
それに気づいた時に愕然としました。

これこそ、地図の上では分からない、自分の足で行かなければ実感出来ないものだと思いました。

往きの飛行機が着陸の順番待ちで、仙台空港の上空をゆっくり低空で旋回した時、私は空からの仙台の海岸線の被害も見ました。
その時その広さを凄いと思ったのに、そんなもんじゃ無かった。

この東北の無残な姿に涙が出ました。
そして、そこで暮らす…暮らしていた人々に想いを馳せた時に、物凄く辛くなりました。
取り返しはつかないけれど、どうか再び立ち上がり、元気な東北を再生して欲しいと思います。

旅をする事、色々な楽しみや喜びを感じる事が目的だけど、この旅は特別な想いを抱く旅となりました。

旅行の後に日記を書こうと思い書けないままだったので、この日に思い出して日記にしてみました。


被災地、被災者の方の為に私にできる事はたいして無いけれど、できる事があればこれからもしていきたいと思います。

仕事帰りのスーパーで、岩手産と書いた魚を見て、思わず買ってしまいました。
その日は震災被害を受けた場所の物産をおかずにして、こんな事でも塵も積もれば山となる、地元の応援をしていこうと思いました。